山笑う。今年も無事、野山はそんな季節を迎えました。さまざまな緑が生まれ出ています。
あいも変わらず古い話から始めさせていただきます。
「パンチ式車内乗車券」。ネットを辿ってみると、鉄道の例ばかりが出てくるのですが、私の記憶では、昔々、路線バスでも使われていました。
細かな字で停留所名がぎっしり印刷された薄い用紙の束。黒鞄から車掌がそれ取り出して、用紙のどこにでも届く長い形状のパンチ鋏で、乗降 のバス停のところを穿孔。子供のころ、揺れるバスの車内でそれを扱う姿が、 格好良く見えた記憶があります。昭和です。
その後、やがて始まる「ワンマン運行」。バス向けの運賃箱の登場が'70年 で、その頃がワンマンへの移行期。使われはじめたのが「整理券」。乗車時に、 番号の入った券を乗客自身が機械の発券口から取り、降車時に掲示板の表示に従って、運賃とともに「運賃箱」に入れる という、今もある仕組みです。鉄道でもバスでも広く使われています。
パンチ式車内乗車券がその形式を整えるまでにもきっと様々な工夫があったこと でしょう。同様に、運賃箱、整理券方式の仕組みについても様々にです。
https://www.odawarakiki.com/company/history.html
https://www.lecip.co.jp/hd/company/company06.htm
'60年代から進む地方から大都市圏への大量の人口流入。地方へのモータリ ゼーションの広がり。次第に、地方の鉄道やバスは、人件費負担の対策を迫ら れ、そのための合理化のひとつがワンマン運行でした。かたや、東京をはじめとする大都市圏では、溢れかえる利用客にどのように対応していくかが大きな課題となって行きました。いかに短時間に大量の利用客に改札を通過して貰う
か、その解決のツールの切り札となったのがfelicaを用いた交通系ICカードでした。かざすだけで素早く使える非接触方式のICカードの投入です。
https://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa59/ind000202/001.html
https://www.sony.co.jp/Products/felica/about/
JR東日本で「Suica」が2001年に登場。 JR西日本の「ICOCA」の登場が2003年でした。
と、ここまでが「乗車券」からの置き換え。この後、電子マネーとしての機能が与えられたのが'05年。ここから、交通系ICカードが大きくその役割を広げて行くという知る人ぞ知るストーリーがはじまります。
そして、その役割のひろがりは、駅そのものの役割の広がりと重なって行きます。そうです「エキナカ」です。
コンピューティングやデジタル化と呼ばれている取り組みは、ときに、それまで の作業や装置、ツールの置き換えに留まる場合があります。しかし、もちろん、 本来のデジタル化は、ただ置き換えるまでに留まらず、全体を塗り替えたり、それまでとは不連続な変化を起こさせたりするものです。
そして、ツールとなるハードウエアや、ハードウエアと組み合わせるアプリケー ションがその実現の鍵になることが少なくありません。
ICカードによって電子マネーの利用が広まったバスや鉄道、駅。そこで何が起きようとしているかをもう少し見てみましょう。たとえば、次世代の交通とされるMaaS(Mobility-as-a-Service)。従来の「移動」だけでなく様々なサービスを複合しての提供が現われつつあります。
https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02tsushin02_04000045.html
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/japanmaas/promotion/index.html
どうやら、乗車券、つまり一定区間の移動に対する対価をそのまま利用者に求めるということが無くなって行きそうです。値付けそのものも、状況に応じて変化するいわゆるダイナミックプライシングとなります。「商品やサービス」がこれまでのまとまりかたでは無くなり、「単価」というものの従来の意味も無くなって行く。そんな社会が、「輸送」の分野から始まって行く可能性があります。
少しばかり将来の暮らしが、1枚のカードの向こうにも垣間見えるようです。
■執筆者プロフィール
松井 宏次(まつい ひろつぐ)
ITコーディネータ 中小企業診断士 1級カラーコーディネーター
健康経営アドバイザー
焚き火倶楽部京都 ファウンダー
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