前回の投稿は3月23日「こんな時だからこそ改めて「中庸」をひも解く」というタイトルでした。その後、4月7日に緊急事態宣言が発令されるなど初めての体験が多い約5カ月間でした。みなさんの生活はどのように変わりましたか? 価値観も変わりましたか? 歴史をひも解くと、江戸の末期から明治維新の時代の激変期にも1858年と1878年にコレラが流行しています。ということで今日はこの変革期を生きた先人「渋沢栄一」、そして「江戸の暮らし」に学ぶ「何か」についてひも解いていきたいと思います。
■時代を貫く道「不易」と変化していく時代「流行」
欧米ではキリスト教(不易)と経済(流行)が、日本では論語(不易)と算盤である経済(流行)が江戸から明治への新しい時代の架け橋となっていきました。渋沢栄一は大正5年(1916年)に著した「論語と算盤」の中で、「富をなす根源は何かといえば仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできない」と言っています。奥が深い言葉ですね。今この時期に改めて噛みしめたい言葉です。
■「渋沢栄一」と「論語」
渋沢栄一は家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝いながら父に学問の手ほどきを受け、7歳の時には従兄弟の尾高惇忠(実業家)の許に通い「四書五経」や「日本外史」を学んだそうです。四書五経は、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経のことで、四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』です。幼少のころから本格的に「論語」を学んでいたんですね。
「仁というのは何もそう大げさな事業をやることではない。自分の身を立てたいと思えば、まず人の身を立ててやる、自分が目標をかなえようと思えば、まず人の目標を達成してやる、つまり自分の心を推して他人のことを考えてやる、ただそれだけのことだ。それだけのことを日常生活の実践に移していくのが仁の具体化なのだ」(「論語」雍也第六・意訳)
「ただそれだけ・・・」とありますが、日常生活で確実に実践し続けることは心の在り方を問われる気がします。「論語」こそが心の在り方を学ぶ書だったのでしょう。そして、日常生活に「論語」を活かす活動こそが周りが楽になるように傍楽=はたらく=働くことなんですね。また、論語にある「仁」とは「忠」と「恕」であり、まずは「誠意」と「思いやり」を尽くそうという意味です。「誠意」とは何か、「思いやり」とは何か、今一度自分に問いを立ててみたいと思います。そして、「仁」の実態は「責任」なんですね。まさに経営の本質は「責任」に他ならないということをこの時代に生きた先人達は知っていたのだと思います。
■「論語と算盤」は知行合一である
「知は行の意向、行は知の修行、行は知の完成」(伝習録)
ここで言う「知」は論語のこと、「行」は算盤のこと、つまりは算盤=経済は論語の完成であるという意味です。意味深いタイトルなんですね。
■「論語」の核心は、社会、組織、そして人の末長い繁栄(継承)の為の原理原則
「事柄に対し如何にすれば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。」(「論語と算盤」)
「私が常に希望する所は、物を進めたい、増したいという欲望というものは、常に人間の心に持たねばならぬ。しかしてその欲望は、道理によって活動するようにしたい。この道理というのは、仁義徳、相並んでいく道理である。その道理と欲望とは相密着していかなければ、この道理も前にいう、志那の衰微に陥ったような風に走らないとはいえない。」(「論語と算盤」)
経済活動から得られる利益と心の成長である道徳の融合こそが日本における経済の原点なんですね。渋沢栄一が500以上の企業をなした根本は人(リーダー)の教育の為であり、「流通と金融」は社会を豊かにするために行ったとされています。同じように「論語」を学んできた人の中には自分の為だけに権力を乱用する人がいました。渋沢栄一は自主性と気概を持った経営者(リーダー)を育てようとしていたのでしょう。
■「論語」の生活化~人間らしく生きるための「江戸の繁盛しぐさ」
論語を学んだ国は日本だけではありませんが、町衆の生活信条(生き方)として「目つき、表情、口のきき方、身のこなし」など具体化し生活に無理なく取り入れたのは江戸が初めでとのことです。しぐさ=思草であり、「思い」+「行動」(知行合一)なんですね。江戸では心を育てる実践の場として商いをしたとあります。渋沢栄一も会社は心を育てる場であるとしていましたが、まさに江戸から受け継がれているのですね。
生活の中から生まれた言葉から江戸町衆たちの一日を見てみると、①朝飯前:朝ご飯を食べる前に近所に挨拶に行く。この時様子を見て回り困っていることがあれば午後の時間に再度訪問していたようです。②商い:生活費を稼ぐために仕事をする。③傍楽:午後は傍を楽にする仕事、いわゆるボランティアをしたそうです。朝挨拶して回った先の困りごとはこの時間に誰かが解決していたのですね。④明日備(あすび):明日に備えるリクレーション、毎夜、明日に備える時間を持っていたのですね。あすびから遊びになったのでしょう。
いまの日本社会とはかなりイメージの違う江戸の一日だと思いませんか?生活とか労働をかなりおおらかに捉えていたような気がします。江戸市中は十人十色、みんな違うもの、それぞれ完全に意見が違っていても対話が成立していたと言われています。また起業家が多かったようですね。生活のための仕事は何かしらできたということなのでしょう。誰かが独り占め一人勝ちするのではなく、各人が必要なだけの商売に精を出すと同時に、江戸の繁盛と治安の維持、町衆の幸せと将来を背負う子供の教育など、みんなが参加して知恵を絞り協力し合って町を運営していた、だからこそ絆の強い人間関係が出来上がり、それが全国に広がり江戸の商売は繁盛したのですね。これからの時代にもまたこのような地域社会の在り方が必要な気がします。
個人的にピンときたことだけを取り上げて羅列しており解説も不十分なうえ、話も大きく飛んでいることご了承ください。新型コロナウィルスの影響を受け、「喪失感」や「不透明感」の中にいるいまこそ、「論語」という変わらない心の在り方を元に時代の変革期を生きた先人の残した言葉や、江戸繁盛しぐさとして受け継がれてきたものから、「何か」を学び、いまを生きて行けたらと思います。人として、経営者として、会社の役割は何か、商いとは何か、考えるきっかけになれば幸いです。そして、自分、自社の利益だけを追求するのではなく、世界規模で持続可能な社会をみんなで再構築していけたらと思います。
■執筆者プロフィール
中川 普巳重(なかがわ ふみえ)
福岡大学 産学官連携センター 産学官連携コーディネーター 客員教授
地域連携推進センター コーディネーター
(株)世利SeyCorp. 取締役 in Busan
中小企業診断士、ITコーディネータ、(財)生涯学習開発団体認定コーチ
Eメール fumie-na@k4.dion.ne.jp
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光岡眞里 (月曜日, 31 8月 2020 18:58)
中川先生、ご無沙汰しております。女性起業塾でお世話になりましたサムライト光岡です。
心して拝読させていただきました。
コロナ禍、路頭に迷いながらも対応に追われながら会社という船を漕いでいます。ひとたび我を見直し、指針を立て直しているところです。良い気づきをありがとうございました。