ノーベル化学賞に輝くリチウムイオン電池の研究開発とものづくり企業が学ぶべきこと / 柏原 秀明

 ■ はじめに

 我が国のノーベル賞受賞者は,2019年現在27名である。2019年には,リチウムイオン電池の研究・開発で吉野彰・旭化成・名誉フェロー・博士が,米国テキサス大学ジョン・グッドナイフ教授,米国ニューヨーク州立大学スタンリー・ウイッティンガム特別教授と共にノーベル化学賞を受賞された[1]。

 ここでは,吉野彰博士のリチウムイオン電池の基礎研究・開発から実用化に至るまでの苦労されたお話しと共にものづくり企業が学ぶべきことを中心に述べる。

 

■ リチウムイオン電池とは

 リチウムイオン電池は,正極活性物質としてリチウムイオン含有金属酸化物を,負極活性物質としてリチウムイオンを吸蔵・離脱し得る炭素質材料を用いた充電可能な二次電池(充電が可能な電池)である。このリチウムイオン電池は,従来の二次電池に比較しその起電力が4V以上を持ち,その性能を大幅に向上したこととそのエネルギー密度が高く小型・軽量化ができたことである。その背景には,ジョン・グッドナイフ教授らが電極活物質としてリチウムコバルト酸化物が利用できることが発見されたことから始まる。吉野彰博士は,ジョン・グッドナイフ教授の論文を読み,再現実験・評価をされ,これを契機にリチウムイオン電池の基礎研究が加速され,研究・開発・市場形成へと進まれたのである[2]。

 

■ 基礎研究から市場投入への苦労話

 吉野彰博士は,1981年からの約15年間において,新事業として成功させるためにはリチウムイオン電池の基礎研究から市場形成までに立ちはだかる「3つの関門」を乗り越えなければならならなかったと話されている[3]。

〇悪魔の川

 「研究開発の場合,基礎研究という孤独な作業の中でもがき苦しみながら,それまで世界になかった何か新しいものを見いだすまでの辛苦である」と話されている。

〇死の谷

 「次に出くわすのは,基礎研究の成果で見いだした新しいものの製品化,事業化に向けて開発研究の段階に進んでいくが,次から次に課題が噴出して連日連夜対策に追われる日々が何年も続く,この辛苦を表している」と話されている。

〇ダーウインの海

 「開発研究でもろもろの課題を何とか解決し,念願の事業化ということになる。工場が完成し,新製品が世の中に出ていくことになる。しかしながら,世の中の人々はその製品をすぐに買ってくれるわけではない。人々が新製品の価値を認め,市場が立ち上がっていくまでに,また数年かかる。これが「ダーウィンの海」である。ここに至るまでに,多額の研究開発投資,工場建設のための設備投資が発生している。それにもかかわらず新製品が売れないのはつらすぎる。突然出だしたのは95年。ウィンドウズ95が出てIT革命が始まった」と話されている。

 

■ 21世紀に開花したリチウムイオン電池産業

 20世紀末のウインドウズ95の登場からブレイクし21世紀の今日までリチウムイオン電池は,多くの分野・製品:スマートフォン,電気自動車(EV),電動自転車,電動バイク,通信用中継基地局,データセンタ,電動フォークリフト・カート,再生可能エネルギー設備など高容量化・小型・軽量の二次電池を必要とされる産業界には計り知れない変革をもたらしている。世界市場は2020年に7兆円を超えるとの予測もある[4]。

 一方,2011年時点のリチウムイオン二次電池関連産業参入企業は,材料・部品(正極材・負極材・セパレータ・電解液など)メーカ:合計240社,製造装置メーカ:146社,電池(小型・大型)メーカ:14社,その他:37社で総合計:437社である。業種別・企業規模別では,材料・部品では中小企業から大企業へと企業規模が大きくなるほど参入企業数が多くなる傾向にあり,製造装置メーカは,逆に企業規模が小さくなるほど参入企業数が多くなる傾向にあると報告されている[5]。

 

■ ものづくり企業が学ぶべきこと

 ものづくり企業では「独自製品・新製品を持ちたい」という話を良く聞く。すなわち,この独自製品・新製品を用いて競争優位にビジネス展開を図り,売上・利益の向上を目指したいという願望である。

 吉野彰博士は,リチウムイオン電池において,この願望を成就するために前述の「3つの関門」を乗り越えなければならなかったと回顧されている。この3つの関門は,ノーベル賞級のリチウムイオン電池の基礎研究・開発から市場形成に至るまでだけに出現するものではない。世の中に存在しない様々な製品を生み出すためには,悪魔の川といわれる「混沌とした状態ともがき苦しむ状態を克服し新たな発想・発見を生み出す努力で乗り切ること」が求められる。この悪魔の川を乗り切ることが,その製品の生命力・力強さの源泉になるはずである。ものづくり企業の大小を問わず,製品化の困難さの程度を問わず,最初の関門である悪魔の川を乗り切る覚悟と意思決定が,死の谷・ダーウインの海の関門に進むことができる。吉野彰博士の苦労話は,この3つの関門を乗り越えられた示唆に富むもので学ぶべきことが多い。

 

■ おわりに

 我が国の国別ノーベル賞受賞者数は第5位である。国内にノーベル賞を受賞した方々が多数おられることは,本当に喜ばしいことである。また,今年は民間企業で長年にわたって研究されておられる吉野彰博士が受賞されたことは,民間企業の研究者・開発者の方々にとっても非常に良い励みになったと思われる。

 21世紀のリチウムイオン電池産業は,各分野の産業で益々必要不可欠なものとなってきている。そして,多くの企業が参入し雇用も充実すると期待できる。

 教育・研究の効果がノーベル賞として開花するには,数十年の歳月が必要といわれている。次世代の若者たちが,現在以上に文系・理系を問わず「良い先生・良い教科書・良い設備環境・良い教育方法・良い情報・海外国内留学・充実した予算など」を重点的に投入し一流の勉学・研究に安心して励める環境を提供したいものである。

 

引用・参考文献

[1] 旭化成株式会社,“リチウムイオン二次電池における吉野彰博士の業績”,Ver. 190701

 https://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/jp/r_and_d/interview/yoshino/pdf/outlin_lithium.pdf 

[2] 公益社団法人 発明協会,“リチウムイオン電池”

 http://koueki.jiii.or.jp/innovation100/innovation_detail.php?eid=00089&age=present-day 

[3] 吉野彰,”研究者リレーエッセイ「ダーウィンの海」についての一考察

リチウムイオン電池発明から市場形成まで”,産学官連携ジャーナル,2017年12月号

 https://sangakukan.jst.go.jp/journal/journal_contents/2017/12/articles/1712-10/1712-10_article.html 

[4] 日本経済新聞社,“ノーベル化学賞に吉野氏 リチウムイオン電池”,2019年10月10日,p.13 

[5] 株式会社帝国データバンク,“リチウムイオン二次電池産業にみる,攻めどころの分析~企業間取引構造から新規取引可能性を探る~”,2012年4月13日

 https://www.tdb.co.jp/report/specia/pdf/120401.pdf

 


■執筆者プロフィール

 柏原 秀明 (Hideaki KASHIHARA)

 京都情報大学院大学教授,柏原コンサルティングオフィス代表

 NPO法人ITC京都理事,一般社団法人日本生産管理学会関西支部 副支部長・理事

 博士(工学),ITコーディネータ,技術士(情報工学・総合技術監理部門),EMF国際エンジニア,APECエンジニア