勝手にしやがれ ~実存と構造(その2)~ / 上原 守

前回の「悲しみよこんにちは」は,途中で力尽きました.とりあえず続きを書きます.

今回は何とかまとめたいと思います.

 

■勝手にしやがれ(映画)

 前回の「悲しみよこんにちは」は米英合作だそうですが,こちらは1959年のフランス映画,ジャン=リュック・ゴダールが監督・脚本を務めたヌーベルバーグの記念碑的作品です.原題は「A(フランス語でAの上に点(アクサン)がついています) bout de souffle」で,英題の「Breathless」が意味としては近いですが,邦題の「勝手にしやがれ」は名訳だと思います.

 主人公のミシェルをジャン=ポール・ベルモンド,ミシェルと逃避行を共にするパトリシアを「悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグが演じています.

 

 なお今回も,内容はこの映画と関係ありません(笑)

 

■プロジェクトとエンゲージメント

 前回は,以下のような連想からのお話しでした.

1 PMBOKに「エンゲージメント」という言葉が出てくる

2 「プロジェクト(プロジェ)」と「エンゲージメント(アンガジュマン)」はサルトルの実存主義哲学の用語でもある.

3 1960年代になるとレヴィ=ストロースに代表される構造主義が出てくる.

4 サルトルとレヴィ=ストロースは論争を行っているが,文学者のサルトルと人類学者のレヴィ=ストロースでは,見ている「風景」が違うのではないか ?

5 サルトルと「悲しみよこんにちは」の作者のフランソワーズ・サガンは愛人関係にあった.

 ということで,サガンとサルトルが何とか繋がったところで前回は終わりました.

 

■実存と構造

 実存主義では「実存は本質に先立つ(存在には本質がない)」「人間は自由の刑に処せられている(生まれながら自由な存在である)」というのが前提です.

 「生まれながら自由な存在である」という概念は非常に魅力的に思えます.

 しかし「存在には本質がない」ということは,ボーヴォワールの言葉をそのまま借りれば「人は女に生まれるのではない,女になるのだ」ということになります.このように,生まれながら「自由」な存在であるということは,自ら「主体的」に生きることを求められます.そのためには未来に向かって自ら「かくあろう」と自分自身を投企(プロジェ)し続ける必要があります.さらに,自ら現実の問題に取り組み,歴史を意味づける自由な主体として生きること(アンガジュマン)が要求されます.

 そのためには現実の問題を深く考え,自らの社会的立場を明確にして政治的・社会的参加を行うことになります.これは結構しんどい生き方です(笑)

 

 構造主義では「要素は他の全ての要素との関係性の中で決定される」と考え,絶対的な「実存」を否定します.ある個人は他の個人や所属する社会・組織との関係性の中で相対的に定義されます.この関係性は多面的です.例えば私は日本国籍を持ち滋賀県に住んで,ITコーディネータ京都に所属していますが,情報処理学会他のいくつかの団体にも所属しています.それぞれの社会や団体は私に影響を及ぼし,私もそれらに影響を及ぼします.物理学で言う相互作用みたいな感じだと思います.このように私個人をとっても多面体の「構造」の中で一つの要素を構成しています.

 家庭をお持ちの方は,もちろん家族との相互作用もあります.ちょっと面白いのは,ある部族の婚姻体系の「構造」を数学の群論を用いて証明したということがあります.もちろん私自身がその証明を検証したわけではありません.数学に強い方にお願いします(笑)

 ある対象(オブジェクト)をどのような構造として捉えるかは,視点によって違います.盲人と象の逸話は多くの方が聞いたことがあると思います.構造をどのように捉えるかによって,推論→結論が変わります.

 ピラミッドを上から見た人は四角だと思うでしょうし,横から見た人は三角だと思います.ピラミッドの大きさを測るとき,上からしか見ていない人は隣り合う2辺を掛けるでしょうし,横からしか見ていない人は底辺と高さを掛けて2で割るでしょう.しかし,どちらも間違いです.

 

■戦略と構造

 ある組織がどのような戦略を取っているかは,組織構造から推測できます.ドラッカー風に言うと「戦略は組織によって担保される」といったところでしょうか ?

 なお,ドラッカーがこういうことを言ったかどうかは知りません(笑)

 逆に言えば,ある戦略を取る場合に,その組織構造が戦略と合っていなければ上手くいきません.

 ちょっと大きなSIerは本部制か事業部制を取っています.営業本部と開発本部のような形のところは,どちらかというと「攻め」の姿勢の戦略を取っているはずです.逆に公共事業本部とか流通事業本部とかの形を取っているところは,既存顧客を固めたうえで新規顧客を狙っていく戦略を取っているはずです.

 本部制を取っている場合,営業マンは開発本部の全てのエンジニアを使えますが,事業部制(営業と開発が同じ部署にいる)場合には使えるエンジニアは自分の事業部の中になります.しかし事業部の中には対象ドメインの経験豊富なエンジニアがいて,そのスキルも把握できています.

 顧客の主要要件がIT対象範囲の拡大や,新しい業務への既存ITシステムの適用のための改修とかであれば,事業部制の方が圧倒的に有利です.既存の「構造」に拡張や変更・追加を加えることになるので,既存の「構造」に関する知識は大きなアドバンテージがあります.

 しかし,例えば顧客の主要要件が汎用機からオープンシステムへの移行の場合には,いくら業務知識が豊富だといっても汎用機しか知らないエンジニアだけを連れて行っては失敗します.汎用機とオープンシステムでは,その「構造」が全く違うからです.

 システムの構造が違うということは,プロジェクトの構造も変える必要があります.汎用機だけで成功体験を積んで来た人は,なかなかプロジェクトの構造をオープンシステム型にできません.いっそのこと若手のオープンシステムのエンジニアに年俸30万ドルくらいだしてプロジェクト・マネージャーにしてしまい,業務知識を持っている人はご意見番にしてサポートをお願いするとかできればまだましだと思います.しかし年功序列という構造が足かせになっている組織ではなかなかできないです.この逆の体制(既存システムのエンジニアをPMにしてオープンシステムのエンジニアを技術サポートのような形にする)を取った場合にはプロジェクトの失敗確率は跳ね上がります.

 オープン系のシステムでは,業務要件の他にインフラの構築やツールの検証,セキュリティの検討と実装が必要です.特にセキュリティに関しては,インフラも含めたアプリケーションの各層で実装が必要になります.業務要件だけを優先してしまうと,記憶に新しい〇payみたいになります.

 

 だいぶん前の話ですが,インターネット上で英文の「プロジェクト・マネージャー求む」という広告を見たことがあります.「プロジェクト・メンバー求む」なら分かりますが…世の中こんな風になったのかと思いました.プロデューサーがいて,監督から主演からオーディションで決めるような「ハリウッド方式」と個人的には呼んでいます.まぁ,Windows NTの開発者のデビッド・カトラーも引き抜かれたので,そういったこともあるのかなと思いますが,プロジェクトが失敗したらどうするんだろうとか思います.ここら辺は私も日本人感覚が抜けていないのかも知れません.

 確かに脚本等の基本が決まっていれば,映画の戦略は概ね固まっていると思います.その戦略を理解しているプロデューサーであれば,戦略を実現する構造を作るために工場や部品を設計して組み立てることができるかも知れません.逆に言えば構造(組織)を設計するときには戦略を理解していなければならないと思います.

 

■戦略の精度

 戦略を立案するときには色々な方法があります.私がITCAの講習を受けたときはSWOT分析とバランスト・スコアカードでしたが,最近はユーザー・エクスペリエンス(UX)が流行りのようです.いずれの方法も多少の「論理的」な思考が必要ですが,決して難しいものではないと思います.

 

 しかし立案した「戦略」が成功するかは別の問題です.

 フェルミ推定(Fermi estimate)というのがあります.実際に調査することが難しい対象に,いくつかの手がかりを元にして論理的に推論を行うことで,一定の概算を行うことです.地頭の良さを測るために,外資系の企業の入社試験でよく出てくるらしく,有名になりました.ノーベル物理学賞のエンリコ・フェルミの名前が由来らしいです.

 有名なのは「アメリカのシカゴにはピアノ調律師が何人いるか ?」とかです.この命題には,とりあえずシカゴの人口が分かれば推論が可能です.しかし,例えば「ピラミッドを白く塗るために何リットルの塗料がいるか ?」と聞かれたときに,前述の上から見た人と横から見た人では答えが変わり,共に正解に近づきません.

 

 「Fermi estimate」の「estimate」には「見積り」という意味があります.システム開発の場合には,何段階も見積りがあります.プロジェクト全体が10億円で最低3年かかるというレベルから,日々の「このソフトウェアのコーディングは明日中に終わる」というレベルまであります.しかしソフトウェア開発には影響を与えるファクターが多くあります.実際に「フェルミ推定」の方がましなレベルで,見積りの精度を上げることは難しいのが現状です.

 

 IPAさんから「ソフトウェア開発データ白書」という資料がでています.この中に「SLOC規模別SLOC生産性の基本統計量」という項目があり,以下の統計値が出ています.

 

SLOC/人時(n=635)

最小値:0.0 P25:3.2 中央値:5.4 P75:8.9 最大値:352.2 平均値:8.5 標準偏差:16.6

 

 これは,プロジェクト(基本設計から総合テスト)において1人時当りに生産できるステップ数は68%が平均値-標準偏差の-8.1から平均値+標準偏差の25.1の間に入るということになります.しかし,この値だけは平均値より標準偏差が大きいことから分かるように,分散が大きすぎて使えません.

 しかしここで諦めるのはまだ早いのです.

 素晴らしいことに,IPAさんのサイトから元データがダウンロードできます.しかも,業種ごとに「金融保険業」「情報通信業」「製造業」に分けたデータもあります.これらを上手く使えば,精度の向上が可能です.その際に必要になるのが論理的な思考と構造に対する知見です.

 

 ダウンロードサイト

 https://www.ipa.go.jp/ikc/publish/whitepaper_dl.html

 

 戦略を立案するときに,SWOT分析,バランスト・スコアカード,ユーザー・エクスペリエンス(UX)のどれを使おうが良いのですが,これらには定量化の方法論が含まれていないように思います.実際に見積りして定量化する際にはフェルミ推定のレベルの精度になると思います.

 さらに言えば,人間の思考にはバイアスがかかります.「売上が倍増すれば良いな」と思えば楽観的な予測を立てやすくなります.そういうバイアスがかかると,さらに精度は落ちます.

 ここで精度を上げるためには,やはり論理的な思考と,自分の組織やそれを取り巻く「構造」に対する知見(正しい視点からの観察)が必要になります.

 

■「悲しみよこんにちは」から「勝手にしやがれ」

 よくある話ですが「とりあえず金使ってパッケージ入れれば効率上がるんだろう」という判断をする経営者の方がおられます.自社の「強み」の源泉になっている構造を理解しないで,その部分をパッケージに置き換えると「強味」が「弱み」になることさえあり得ます.

 確かに経営にはスピードが必要です.ITCのガイドラインを鵜呑みにして,そのままフルセットで実行すればスピード感は落ちます.しかし,必要な分析や定量化を行わずに,精度が低いまま突っ走って「悲しみよこんにちは」になっても「勝手にしやがれ」になってしまいます.

 

 無理矢理な「落ち」をつけました.最後までお読みいただいた奇特な方(ここでは本来の意味「感心な行いをする優れた人」の意味として使っています.決して「奇妙な行いをする珍しい人」の意味ではありません(笑))有難うございました.

 

参考資料

1) 「勝手にしやがれ」DVD

2) プロジェクトマネジメント知識体系ガイド PMBOKガイド 第6版

3) 「ソフトウェア開発データ白書 2016-2017」情報処理推進機構(IPA)

 https://www.ipa.go.jp/files/000057877.pdf

4) Wikipediaの各記事

 


■執筆者プロフィール

 上原 守

 ITC,CISA,CISM,ISMS審査員補,情報処理安全確保支援士

 IPA プロジェクトマネージャ,システム監査技術者 他

 エンドユーザ,ユーザのシステム部門,ソフトハウスでの経験を活かして,上流から下流まで,幅広いソリューションが提供できることを目指しています.