スティーブ・ジョブズの映画を見たことがあります。何とも言えず変わった人で、周りの人たちが嫌な思いをしたり傷付いたりしていたことが印象的でした。ジョブズは極端だとしても、イノベーションを起こす人はやはり変わった人が多いのでしょうか。「変わり者」とイノベーション。これについて、ちょっと考えてみたいと思います。
■イノベーションは常識を打ち破ること
イノベーションを起こすポイントは何か。やはり、常識の枠を打ち破ることでしょう。
先日、ある牛丼屋さんに入ったのですが、外国の人が多く、座った横も明らかにわかる外国の人でした。するとその人が、ドレッシングをいきなり牛丼本体にかけ始めたのです。
「えぇ!?」 日本人である私にとっては、ドレッシングはサラダにかけるもので、牛丼本体にかけるものではありません。「何も知らないんだな」と横目で見ていたのですが、そのときふと思ったのです。「直接ドレッシングをかけたら、ひょっとしておいしいかもしれない」。私はそれを試したことがない。おいしいとかなんとか考えたことさえない。だからこそ、やったら、おいしいかもしれない。そのままでは無理でも、少し工夫したら全く新しいテイストの牛丼ができるかもしれません。そんなこと、考えたこともなかった。なぜか? 日本人としての常識があるからです。「ドレッシングはサラダにかけるものだ」という言葉にすることさえない強固な思い込みがあるからです。
■常識という強固な思い込み
わたしたちは、考え方、感情の持ち方、会話のルールと内容、行動の仕方などなど、無意識のうちに前提となる構造に深く捕らえられています。朝、職場で会ったら、「おはようございます」と言う。そう言えば相手も「おはようございます」と返す。これはふだん意識もしない常識(行動構造)です。こう振舞うのが常識で、そう振舞わなければおかしいやつということになります。こうした行動構造があることは、私たちの行動にかかわるコストを大幅に下げてくれます。この常識がなければ、毎朝毎朝、職場に行ったら今日は何で言おうと考えつかねばならないことになります。しかし、この常識があるおかげで、わたしたちは全く何を考えず、職場に行き、安心して言葉を交わすことができるのです。この意味で常識(既存の行動構造)は効率的にコミュニケーションしたり行動したりする上でなくてはならないものと言えるでしょう。
■常識からの逸脱
しかし、同時に、それが手かせ、足かせ、頭かせ(?)になっていることも容易に予測できます。その内部にいる限り安全、安心な行動が取れることは確かですが、少なくとも斬新なものは生まれない。そこから逸脱して初めて、これまでないような新たなものが生まれる可能性が出てくる。ドレッシング牛丼も、日本人の行動構造の外にいる外国の人だからこそ、あっさり実行できるのです。
■イノベーターは「変わり者」?
「変わり者」と言う場合、おそらく一般的な常識から見て変わっているということなのでしょう。であれば、「変わり者」は、考えること、行うことが、初めから常識の外部でなされる傾向があるわけですから、そのうちのいくつかは斬新なイノベーションにつながる可能性があるわけです。外国人なら初めから一定の常識を共有できていないので、思いもしないことをやっても、当たり前ですが、同じような環境にずっといながら常識の外に身を置き続けるのは、簡単なことではありません。「変わり者」はいわばそのような立ち位置に立ち続けているとも言えるでしょう。「変わり者」が必ずイノベーターとは限っていませんが、イノベーターは多くが何らかの意味で「変わり者」だと言っていいかもしれません。
■予測のつかない時代
では、「変わり者」だとは言えない多くの人たちは、イノベーションを起こせないのでしょうか。イノベーションは「変わり者」の独壇場なのでしょうか。そんなことはない。少なくともこれからの時代、そんなことは言ってられない、というのが私の考えです。なぜなら、常識や思い込みが、相対的に信用できなくなってきているからです。
80年代ぐらいまで、大企業に勤めれば一生安泰と思われていました。年功序列で定年まで勤めあげて、あとは年金で悠々自適、と考えられていたのです。しかし、いま、そんな想定とは全く異なる事態が進行しています。どこで何が起こるか分からないのです。大企業に入っても、グローバルな影響の中で業績が傾けばリストラの憂き目にあうかもしれない。思うように出世できず、成果主義の中で低賃金にあえぐことになるかもしれない。首尾よく定年まで勤められたとしても、年金額の低迷で老後貧困に陥るかもしれない。何が起こるか予測がつかないのです。
■「変わり者」でなくとも常識から踏み出る
薄々は気づいていても惰性と思い込みに生きているケースが多いのではないでしょうか。ですが現在の大きな変化を考えれば、常識的な思い込みの内部に安閑として居続けるわけにはいきません。思い込みや想定がどうあれ、何が起きても生き残っていける姿勢を保ち続ける必要があります。周りの状況は刻々と変化します。それを的確に読み取り、対処していかねばなりません。周りの人たちが惰性と思い込みに浸っているとしても、自分はそこから一歩出て、別の視点から事態を見ていかねばならないのです。
これはつまり、先ほどの「変わり者」と同じ立ち位置に立っていることになるのではないでしょうか。支配的な行動の構造を自覚し、その外に一歩踏み出し、新たな一手を考える。変化に敏感になり、情報を集め、既存の思い込みを覆して、それとは異なる方向に進む。これは「変わり者」の立ち位置と同じだと言っていいでしょう。
【結論】誰もがイノベーションの前提を持っている時代
今日、「変わり者」とは見られない人でも、惰性と思い込みに浸っていていることは、人生自体のリスクです。その意味で、誰もが常識(既存の行動構造)の外に踏み出ながら生きていくことを余儀なくされています。つまり、生き方がそもそもイノベーティブでなければならない時代になっているのです。その意味では、あらゆる人がイノベーションの感覚をつかみやすい時代であるともいえるでしょう。「変わり者」の気が知れないといったことはない。みなが「変わり者」と同じ姿勢で生きていかねばならない。その意味でみながイノベーションの発想ができる可能性があるのです。
■執筆者プロフィール
清水 多津雄
ITコーディネータ
ITコーディネータ京都理事
同志社大学大学院修士課程修了 哲学専攻
企業において二十数年間情報システムに携わり、ITマネジメント、特にIT戦略立案、IT企画、システム設計、プロジェクトマネジメントに従事。その中で仕組み化の方法を構築、さらに新しい仕組みの創造に関心を持ち、それが現在のイノベーション研究・実践の基礎となっている。他方、現在もシステム理論を中心に哲学研究を続け、特に偶発性(contingency)と創発(emergence)に注目し、それをイノベーションの基礎理論として理解する試みを行っている。
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