復興の力~奮い立たせるもの~まつり/藤井 健志

■大震災、つなみ、そして原発事故。
東日本大震災を引き金として一連の大惨事が続き、日本中が愕然とした状況が続
きました。家々が津波に流されるその光景がテレビ画面を通じて流され、その凄
まじさに唖然とさせられました。我々関西の人間には、ちょうど16年前の阪神
・淡路大震災の時の体験が蘇ってきました。
この原稿がアップされるのが震災からちょうど1ヶ月後、4月11日、どんな状
況になっていることか。
原発事故は関係者の方々が懸命の作業で非常事態の解消に向けて活動されている
中で、桜の花も咲き始め、4月に入って春がおとづれています。

京都の東山界隈では地震の翌日の3月12日から21日まで「京都東山花灯路」
というオール京都での観光イベントの予定でした。開会式は自粛してひっそりと
始めたのですが、急遽中止となり、3月15日から形を変えて「京都・東山祈り
の灯り」として、復興を願うメッセージと義援金を呼びかけることにいたしまし
た。賛成、反対さまざまなご意見を頂戴いたしましたが、10日間で63万4千
人の方々に来場いただきました。

■ピンチをチャンスに、何を築くか
東日本大震災の復興計画づくりに向けて政治が動き出した。
菅首相は「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いの水産業、漁港まで通
勤する」「植物やバイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、
福祉都市としての性格を持たせる」と復興に向けての構想を説明されました。

大正12年に発生した関東大震災では、内務大臣後藤新平が帝都復興院を設立し
東京復興の基本方針
 1.遷都すべからず
 2.復興費は30億円を要すべし
 3.欧米最新の都市計画を採用して、我国に相応しい新都を造営せざるべから
   ず
 4.新都市計画実施の為には、地主に対し断固たる態度を取らざるべからず

をかかげ、街路整備、ならびに土地区画整理事業を断行しました。現在の東京の
都市骨格が整備されたのですが、強い指導力でかなり強引に推し進め、反対も多
かったことが記録に残されています。今なら地権者の私有財産権を無視したこの
ような試みは到底受け入れられないでしょうが。

今この未曽有の困難に際して何を優先するのかの判断が非常に複雑ですが、ここ
はひとつゼロからの発想で復興再開発事業を、エネルギー問題も合わせて考えて
いかねばならないでしょう。
仙台市は今月に入っていち早く年度内に復興計画を作ることを盛り込んだ市震災
復興基本方針を策定し発表しました。
 1.被災者が安心できる生活再建  
 2.ライフラインや交通機関の安定化
 3.経済や被災地域の復興・再生
 4.仙台の再生推進と東北地方全体の再生のリード
の4項目です。

■復興のシンボルとしてのまつりの役割
毎年200万人以上の来場者で賑わう「仙台七夕まつり」も平成23年度の8月
の開催に向け準備を進めておられます。

“まつり”とは「祀る」の名詞形で、本来は「神を祀る」ことから来ています。
古代以前から人々は天災に煩わされてきました。人力ではどうしょうもないこと、
人智を超えたことは神に祈るしかない。そして神を祀ることでその庇護を得んと
して神が宿る場所、象徴としての自然物、山、樹木、動物などを祈りの対象とし
て崇敬してきました。神の依代(神霊が依り憑く対象物)として神体や神域とし
て聖なるものとしての役割を自然物が担ってきました。
また、祭祀を司るものと政治を司るものが同一だった時代もあり、政治のことを
“まつりごと”と呼んだりすることもあります。
その年の豊作を祝って「新嘗祭」が。
新しい天皇の即位の年には「大嘗祭」が執り行なわれました。“まつり"は人々
の祈りと思い、エネルギーが込められたものへと進化してきました。

「仙台七夕まつり」しかり、「青森のねぶた祭り」しかり。「博多どんたく」
「岸和田のだんじりまつり」しかり。

江戸時代から行われていた「仙台七夕まつり」は、終戦のの翌昭和21年焼け跡
に52本の竹飾りが立てられたことから復活し、今につながっています。
復興のシンボル、多くの人が参加するイベントとして、“まつり"は気持ちを奮
い立たせ一体感を盛り上げる役割をはたしています。震災からの復興に力づけの
エネルギーを与えてくれます。 
我々京都の街でも昨年から府・市・会議所が中心となって「京の七夕」を堀川、
鴨川エリアを中心に行っています。「仙台七夕まつり」へのエールも含めて、協
力し共鳴出来ればと、力を注ぎたいと思います。


■執筆者プロフィール

藤井健志
一級建築士、中小企業診断士、ITコーディネータ
(勤務先)(株)日商社 プロジェクト開発部
fujii@nisshosha.co.jp