■はじめに 2008年9月に発生した米国リーマン・ブラザーズ(負債総額は6130億 ドル:日本円:約63兆1500億円)の経営破綻に始まる世界的な景気急 減速は,史上最大規模の倒産を招いている。冷静に考えれば,金融商品のサ ブプライムローンは「リスクの塊」を内包しているのは自明のことであった。 しかし,その経緯を知るにしたがって「自分さえ巨万の富を得れば,組織 に巨万の富をもたらせばよい」としか思えない連綿とした「負のスパイラル」 活動に,何の躊躇もなく突き進んでいたのである。過去の2つの世界大戦に 匹敵するほどの甚大な被害・損害をもたらしているはずである。 一方,国内に目を向ければ,JR前社長が,2005年4月25日に発生した JR西日本の107名の死者を出した尼崎脱線事故の公表前の「事実調査報 告書」や「事故調査最終報告書案」を,国土交通省航空・鉄道事故調査委員 会の事故調査委員と接触・要求し入手したとのことである。そして,この報 告書案の文章・表現の削除・修正を要求したとのことである[1][2]。 昨今,企業の社会的責任の履行の重要性が強く指摘・要望されている。し かしながら,前述のように「企業倫理・責任」を逸脱する事件が後をたたない。 このような現実から,日本の過去の企業倫理について振り返り,本来の 「企業のあるべき姿」や「企業を構成する個々人のあるべき姿」に一石を投 じたい。 ■江戸時代の商人の企業倫理 例えば,江戸時代に成功した商人の多くが,商売を生業とするときに「家 訓」や「家憲」を用意し,その元に商売を行ってきた。今日のように,情報 交換のための電信・電話,Fax.,インターネットや移動手段の新幹線や航空 機は存在しなかった。情報は,飛脚にたより,移動手段は,速駕籠,馬,帆 船ぐらいのものであった。少ない情報,遅い移動手段しかない江戸時代の商 人にとって「信用・信頼」の関係を相互に永続的に築くことが商売を成就さ せる基本であったに違いない。そのためには,商人自身の“利”を優先する のではなく,相手(顧客)・世間を優先する対応をしなければならなかった。 例えば,その「家訓」や「家憲」には,下村彦右衛門の「先義後利」や住 友家の家則「苟も浮利に趨り軽進すべからず」そして,近江商人の「三方よ し--売りてよし,買いてよし,世間よし」などがある[3]。また,三井家 の三井殊法には,「売り手悦び、買い手悦ぶ」があり,「越後屋」を江戸屈 指の大店に育てた三井八郎兵衛高利の母の言葉である [4]。 ■おわりに 個々人が組織の中で活動すれば,多くの人たちは企業倫理の遵守は「総論 賛成,実践・遵守は環境・状況次第」になりがちである。如何にして組織の トップに「経営的手腕は勿論のこと,いわゆる人格者」を奉り,「組織船」 の船長にするかに掛かっている。名船長は,リスクや危機の時にこそ正しい 判断・指示を出せ,自ら先頭にたって実践できるものである。このような, 名船長が,現在以上に数多く輩出されれば,それに従う副船長,航海士,機 関長もそれぞれに“名”を冠した人たちを,もっと多く輩出することができ る。江戸時代の良き教えこそ「羅針盤」にすべきであろう。なぜなら,原理・ 原則が,単純・明快であるからである。 その時々の時代には,“リーマンショック”や“JR事故”があったはず である。時が変わろうともその準備・対処の仕方の根本的な考え方は,普遍 ではないだろうか。21世紀の現在,物事が超複雑になっているだけである。 9月に友愛社会実現に向けて鳩山内閣が誕生した。産業界においてもゴー ルである「友愛企業の実現」に向けて,組織の個々人が前向きな切磋琢磨に 精進されることを期待したい。 参考資料 [1]朝日新聞,“JR西元幹部も修正促す。事故調査報告案 「前社長が不満」” 2009年9月30日 [2]日本経済新聞,“尼崎脱線 JR西,地検に資料未提出,函館線事故, 隠ぺいの疑い強まる”2009年9月30日 夕刊 [3]荒田弘司,“江戸時代の商家の家訓に学ぶ現代の企業経営-社会の公器と しての企業の役割-”,産業経営研究,pp.17-36,第25 号(2003) http://www.eco.nihon-u.ac.jp/assets/files/sankei25arata.pdf [4]卜部正夫,“CSRと日本的経営観”,(2007) http://www.jiu.ac.jp/books/bulletin/2007/info/02_urabe.pdf ■執筆者プロフィール 柏原 秀明 ITC京都 理事 ITC,技術士(総合技術監理・情報工学部門),APECエンジニア, EMF国際エンジニア,ISO27001審査員補,公認システム監査人補 |
コメントをお書きください