それぞれの国家、民族、さらには、家庭にも、他とは異なる文化があるように、
会社にも他社とは異なる文化がある。これを『企業文化』と言い、確立された定
義はないが、「企業内の人間が共有している価値観、倫理観、行動様式」などと
説明されている。
会社独自の“習慣”や、感覚的に感じ取る“気”(元気、やる気、活気、熱気
など)といったものも「企業文化」の表われであろう。
様々な会社を訪問した際に、社内の雰囲気や従業員の言動などから、”活気あ
る会社だなぁ”“この会社は儲かっていそうだなぁ””将来性ありそうだなぁ”
などと直感的に感じることがある。そのように感じさせるものも「企業文化」に
違いない。そして、経験的にこの直感はあながち間違っていないのである。
この「企業文化」は“経営者の企業経営に対する根底にある思想・想い(経営
哲学)”が具現化され、従業員に浸透し、実践され、伝承された結果として確立
されるものである。
直感的に感じた企業文化は、その後、社長にお会いすると、「なるほど・・・
この社長にしてこの会社有りか。」などと納得することが多い。
「企業文化」は経営者の経営哲学の投影なのだ。
この経営哲学を形式化したものが『経営理念』である。
最近、企業の不祥事が頻繁に報じられているが、そうした企業では、不祥事に
携わる者が、許され得ぬ手段であろうと感じつつも、漫然と見過ごしていた経緯
がある。
経営者の利益を再優先させる気持ちが心の隙に入り込み、経営哲学が歪められ、
許され得ぬ手段を容認する悪しき企業文化が蔓延った結果だと思う。
社会的な問題にならないまでも、同様の例は多い。
例えば、ISO27001(情報セキュリティマネジメントシステム)などの
第三者認証取得の支援をしている中で、「ただ、認証取得ができれば良い。」と
する経営者の会社と「認証取得と同時に、せっかくのマネジメントシステムを有
効に機能させたい。」とする経営者の会社では、取り組み姿勢が全く異なる。
形だけの認証取得に終わると、更新の度に辻褄合わせの作業に翻弄して結果と
して効果的でないばかりか、いい加減な対応を許容する悪しき企業文化が、将来、
企業の存続をも危ぶまされる事態を引き起こす可能性があるのだ。しかし、こう
した認識さえも麻痺させてしまうから恐ろしい。
更に言えば、経営を語るとき、必ずと言っても良いほどに、ビジョンや経営戦
略の必要性が説かれるが、いくら立派な戦略も、確固たる経営哲学に裏づけされ
た経営者の決断と、それを実現しうる「企業文化」が確立していなければ、それ
らは絵に描いた餅になってしまうことも肌で感じていいる。
具体的に言えば、顧客満足度の向上に関する施策も、真に顧客を大切にすると
の思いから生じ、そのために真剣に取り組むぞ!との経営者の決断とそれを示す
姿勢がなければならないし、また、会社として顧客を大切にする文化がなければ
いくら良い施策も成就しないのである。
企業文化が経営者の経営哲学の投影であるならば、経営者は、良き経営哲学を
確固たる信念で維持しなければならない。
そのために、私は、会社経営に対する想い・理念を創業時まで遡って見つめな
おし「経営理念」として成文化していただくことをおすすめしている。
さらに、単に文章・文言だけを示すのではなく、その文章や文言を選択する至
った“想い”の部分までを明らかにし、何かあるごとに、思い起こせるようにし
ておく必要もあるだろう。
ある会社の経営者に、既に亡くなった先代社長がなぜ会社を興そうとされたか、
経営に対する姿勢はどうだったかなどと言った創業の精神や、ご自身が会社を受
け継ぐ際に何を思ったか、将来どのような会社でありたいか、等々についてじっ
くりと考えていただき、経営理念を策定していただいた。
そして、従業員に対する経営計画の発表会の席で、策定した「経営理念」につ
いて、創業時からの歴史、及び、経営理念の策定の経緯などの含めてお話してい
ただいた。
一年近くが経過し、会社の雰囲気が明らかに変わってきたことを実感できるに
至った。
振り返れば、以前にも「社長が変われば会社が変わる」として書いていた内容
と通ずる内容である。
http://www.itc-kyoto.jp/itc/index0176.html
自社の「経営理念」「企業文化」を、一度、見つめ直されることをお勧めした
い。
■執筆者プロフィール
竹内 肇(タケウチ ハジメ)
E-mail:takeuchi@pangkal.com
◆◆中小企業の経営改革・競争力強化支援、ISO27001/ISMS認証取得支援◆◆
合資会社パンカル 代表
http://www.pangkal.com/
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